ここでは、実際にタマともをご使用になられているユーザの方達からの情報を通して、 タマとものより効果的な使い方についてご紹介をしております。 | |
小説家結城恭介さんによる心暖まる作品。 | |
ずいぶん前から、もう、ネコを飼うのはやめようと思っていた。 とはいえ、わが家からネコの姿が消えたことはついぞない。最盛期には十数匹のネコどもが、洗濯カゴにみんなで詰まって、スヤスヤ眠っていたこともある。 しかし、メスに不妊手術をし、オスを去勢して、年月を重ねていくうちに、数匹が家出をし、数匹が交通事故にあい、数匹が病に倒れて、ここ数年は、老ネコばかりと暮らすようになっていたのだ。 ネコたちが死ぬたびに、わたしは泣いた。ときに悲しさに、いくどかは悔しさで、あるいは淋しさに。こんな思いをくりかえすぐらいなら、もうこれ以上、ネコは飼うまい――そう、心に決めていたのだ。 そんな去年の秋口、家からすぐ近くにある神社の横を歩いていると、ミャア、ミャアとかぼそい声が聞こえてきた。まちがいない。子ネコのそれだ。 ああ、イヤだな――というのが正直な気持ちだった。誰かが捨てたに決まっている。心を鬼にしてその場を立ち去ったわたしは、ひどい人間だ。 時を経ずして、次にその声が聞こえてきたのは、わが家の庭の、物置の下からだった。 さすがに見過ごせず、カリカリを置いてみる――ヨチヨチと這いだしてきたのは、まだ手のひらに乗せられるような子ネコだった。生後一ヶ月くらいだろうか。元気そうだ。 しかし、近づいていくと、パパーッとすばやく、また物置の下へ逃げこんでしまう。どうも警戒しているようだ。 翌日は、妻とともに庭に出た。呼んでみると、くだんの子ネコは、おっかなびっくり、物置の下から顔をのぞかせてくる。ミルクを温めて出してやると、嬉しそうに舐めつくし、催促するような目を向ける。 ガラス戸を開けて、室内から呼ぶこと一時間。子ネコは逡巡しながらも部屋へ入ってきた。それでも、手をだすと、またパパパーッ、と物置の下へ一直線だ。 「こりゃあ馴れないよ」と、わたしはどこかホッとしながら、妻に言った。「外ネコとしてつきあっていくのが一番じゃないかな?」 しかして翌日の夕方――その子ネコは、わたしの部屋で、妻の腕に抱かれていた。自分で家の中へ入ってきたのだという。 今や逃げる様子もなく、おとなしく頭をなでられている、小さな命――わたしの『もうネコは飼うまい』という決意は、もろくも崩れ去っていた。この子ネコ、にゃっ太≠ェ、うちの家族になった瞬間である。 飼うときめたからには、この子を、世界一幸せなネコにしてやろう。わたしは腹を決めた。そして、一から勉強しなおしてみると、自分がいかにネコについて無知だったことか。 これまで、完全室内飼いはネコの習性を無視した飼い方だと思っていたが、最近の飼育書を読むと、そうではないらしい。むしろ、現代のペット事情を考えれば、室内飼いは必須なのだ。ワクチンも必要。ミルクは人間用の物を与えてはいけない。ノミは血を吸うだけでなく、寄生虫の原因にもなる――こんな、愛猫家なら当然のことを知るたびに、目からウロコが落ちる思いだった。 今までの反動か、わたしのネコ可愛がりは加速する一方で、外出しているときに心配なあまり、部屋に簡易ビデオサーバを構築し、ノートパソコンからにゃっ太の様子が見られるようにもしてみた。これには友人たちもあきれている。 それにしても、ネコをかぶる≠ニいう言葉は本当である。最初はおとなしかったにゃっ太は、あっという間にその腕白ぶりを発揮するようになった。ネコじゃらしでさんざん遊んでやっても、少し休憩すると、すぐに闘いを挑んでくるのだからたまらない。おかげで、腕は傷だらけの毎日である。 そんなある日、ペットショップで見かけたのが、カオスおもちゃ工房のタマとも≠セった。ん? カオス理論で動くネコじゃらしとな? これは面白そうだ。さっそくネットで情報収集してみると、なかなか評判なのだ。 これは買うしか! と再度ペットショップへ行ってみると、なんと売りきれ――。しかし、カオスおもちゃ工房のウェブのURLがわかっていたので、躊躇せず、モニター応募の申しこみをすることにした。 日を置かずして届いたタマとも≠フ箱を開けるがはやいか、にゃっ太は「これ僕の?」とばかりに飛びつき、スイッチをいれたとたんに狂喜乱舞。動く毛玉をくわえてタマとも≠引きずりまわすわ、遠くからダッシュで攻撃をかけるわ、大騒ぎである。 実際、これほどまで喜んでくれるとは思わなかった。あまりにタマとも≠引っぱりまわすので、すぐ壊れてしまうのではとハラハラしどおしだったが、これも杞憂だった。 おかげさまで、わたしの腕の生傷も減って万々歳――となればよかったのだが、にゃっ太の腕白はむしろ刺激されたようで、やはりオキシフルとバンソウコウの日々である。しかし、これはこれでいいのだ。にゃっ太の幸せそうな顔を見ていると、腹もたたない。 この稿を書いているとき、祖父が倒れ、入院するというハプニングがあった。 祖父の不規則な心電図の音を耳に残しながら、病院から家にもどったわたしに、にゃっ太は弾丸のように飛びついてくる。 それはまるで、命の塊のごとく――。 生きているものは、必ず死ぬ。だから、生きているものができることは、やはり生きているものを、精一杯愛してやることだけだ。 この子にもいつか、わたしを残して旅立つ日がくるだろう。そのときわたしは、やはり泣くにちがいない。それでも――それでもわたしは、もう、ネコを飼うのをやめようとは思わないだろう。 わたし自身が、生きているかぎり。 |
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漫画家まつやま登さんによる作品「タマとものある生活」。 | |
漫画家まつうらゆうこさんによる作品「我が家のタマとも」。 | |